おじさん ありがとう

うふふふふ! 今日とっても嬉しいことがありました!
こちらに戻って3年目の冬
隣の駐車場のおじさんは、我が家の車のスレスレまで
いつも毎回、とっても綺麗に雪をかいてくれます。
でも
1年目も
2年目も
挨拶しても無視され続けて来ました。

こんにちは!
いつも綺麗にしてくれて、ありがとうございます!
いつもすみません!


どれもこれもずっ〜と無視されて来ました。
きっとシャイなんだな?
とか、
実は見えないくらい微かに会釈してくれてるんじゃないかな? とか、
聞こえなかったのかな?
とか、
まあ、そういうスタイルなのだな?
と思いつつ今年で3年目。

なんと!
本日ついに
うぷぷぷぷ(。 >艸<)

私のこんにちは!に、
「こんにちは〜」
で応えてくれました!!

ああ なんて幸せ (*´∀`)
ニンマリしてしまいました。

嬉しいものですね。

相手がどんな状況か?こちらにはわからないものです。
あなたがそうなら、私だって!とならず、
自分のままで変わらず接してこれて良かった。

細やかだけど
とっても心が潤いました。

みなさまもどうぞ!今日も素敵な一日をお過ごしくださいね。
隣のおじさま!いつもありがとうございます!




不完全な私を褒める

今日も、昨日に続き
ゴーちゃんのお注射(2本)、なんと!計8回位も失敗してしまった。
段々お肉が減ってきて皮が余ってしまい皮下注射なのだけど
皮下では無くどうやら皮膚注射になってしまうようで
お薬が入っていかない。

それでもじーっとじーっと、何かを諦めて?待っていてくれて
それなのに私は
回数が増えれば増えるほど
今度こそは!と力み、焦ってしまって
終わった後に、ああ
もっともっと落ち着いて!
どっしり、出来る!と自分を信じて!
の練習なのだなぁと、私の内的世界の軟弱さに、はぁ…
また同じパターンで
また焦って
急いで
冷静になれず
ムキになって
必死になって
結果
ゴーちゃんにブスブスと針を刺し
痛い思いをさせて
しまつたあ あ あ あ
と嘆き落ち込み反省している昨日、今日でございます。

昨日、その情けなさを親友に打ち明けさせてもらいました。そうしたら
「ゴーちゃんの愛の器は本当に大きいから
もっと安心して、ゴーちゃんに甘えるといいよ」とアドバイスを頂き
そうか…なんて有難い…と楽にしてもらいました。
「うん!甘えさせてもらうね」と親友にも甘えました。
そしたら、
「甘えてくれるのは
信頼の証!だから嬉しいよ!」と更に優しい気持ちを届けてくれました。
本当にありがとう。


そして今日のセッションで最後に
《偉いねぇ》と自分を褒めて
と、メッセージがありました。

偉いねぇ
偉いねぇ

自分以外の人や動物には
そう褒め称えている。
今日来てくださったお客様へのメッセージは
私自身にも必要なことだったのかな?と今感じています。

生きていくと段々と誰かに褒めてもらうことを求めなくなり
欲しなくなります。
でも時々は
自分で自分に 《偉いねぇ》
そう言って
不完全な自分を改めて認識した上で
それでも褒めてあげる優しさが必要なのかな?と学んでいます。

完璧な私は捨てた筈なのに
もっともっとと自分に厳しくなってしまう。
そうではなくて
不完全でも
明るく楽しく
なるようになるさ!と思おうと努力できる自分自身を
《偉いねぇ》と
たまには褒めてあげてもいいのかもしれません。

改めて自分にも優しく接する事を意識してみようかと思っています。

今日の出会いに感謝。
今までの出会いに感謝。
これまでの自分自身にも感謝。
すべてを与えてくださる神様に感謝。
いつも本当にありがとうございます。




動物の概念

レッツとゴーのチャネリングは、以前にも少ししたことがあって
動物の考え方の新鮮さに驚いたことがあります。
その会話の、中から。

ほんの少し前に
ゴーちゃんに
「ちこうさん(夫)はどんな存在?」と聞いてみました。
すると
即座に、簡潔に、

《ゴーちゃん》
仲間!
お姉ちゃん(私)を守ってる人!
だから仲間
同志!

レッツにも同じ様に聞いてみました。
「ちこうさんはレッツにとって、どんな人?」

《レッツ》
善い人
親切な人
優しい人
仲間
お姉ちゃんを守る人
仲間。

まぁ(涙)
なんて素敵な!新鮮で斬新な概念!!

昔むかし、ゴーちゃんは
お姉ちゃんを守る為に生まれて来たと言ってくれたことがありました。
もう何年も何年も前の子供の頃です。
(すみません、お姉ちゃんと呼べる年ではないのに)
そしてレッツは、
そのゴーちゃんを守る為に生まれて来たと教えてくれたことがありました。

だから
《仲間!》

その発想に
優しいシンプルな愛をみました。
言葉は短く簡素なのだけれど
シンプルに真理を教えてくれます。

動物は、やっぱり凄いなぁ。




弱さを知ることで

昨日は「スピリチュアルレッスン:実践してますか?」土曜日コース第二回目でした。

素敵な時間でした。

テーマは〜心を浄化する時間・祈り〜

内側から湧いてくる一人一人の祈りを聞かせてもらう それだけで

美しく

その人の内奥にある愛を感じ幸せになります。

 

〜しようとしない〜 神様はよくそれを伝えてくれます。

ただあるがままでいい、どの自分もただ受け入れて、感じて。

 

しようとせず

本心が湧き起こってくるまで待つ、そしてそこに生まれた思いは

とても純粋で美しい

しようとして、行った思いには、どこか

少しのずるさと、少しの力みが含まれてしまう そんな気がします。

 

決断できない時は、優柔不断な自分を受け入れながら

「正直な思い」が湧き起こってくるのを待つ大切な時間

それを省いて 頭や周りの正しさに押し流されて決めてしまった決断は

将来、必ず自分に不条理さとして戻ってくる

誰のせいにもできない虚しさの様な重さで。

 

決められない辛さ、先の見えない不安、すっきりと落ち着かない気持ち

そんな時は誰にでもやってきます。

 

逃げずに踏みとどまって

感じて泣いて。

自分にはどうしようもできないことがあると、受け入れられたとき

次の扉が開く

次のステージが始まっていく

今度はあなたにしかできないステージが始まる、それは

あなたと神様の共同で生きていく道かもしれない

 

無力さを味わうことは宇宙を受け入れること

自分の非力さに嘆くことが出来たから、宇宙の偉大さに気づいていける

そうやって 

分離から一つへと向かっていくのではないのかな

自分の都合ではなく、完璧な宇宙サイクル、自然の摂理へと統合していく

 

自分が強いと思っているうちは、本当の強さを知らないってこと

弱さを認めることで私たちは強くなれる 

本当の強さを知っていく

 

2月金曜日コース 「スピリチュアルレッスン:実践してますか?」受付中です。

集められるメンバーさんが変わると

波動や教えがまた違い、なんとも!興味深く、神様たちって本当に凄いな〜

しみじみ感じています。

面白いんです!!

次回はどんな皆さんが集められるのでしょうか?楽しみです。

詳しくは → HPこちら

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 



ゴーが救ってくれました。

1月22日 ゴーちゃん夜中に何度も吐いて足の痙攣 軽い発作
1月23日 病院 自宅での注射を勧められました。
1月24日午前
何かこのままではいけない!そんな気持ちが内側から強く強く響いて来ます。
正直にならなくちゃ 自分に正直にならなくちゃ
夜 自宅注射失敗
苦しくて悲しくて整理のつけられない感情と恐怖が溢れ
ただただ泣くことしか出来ませんでした。
1月25日 家族会議
自分で飲まなくなったお薬を自宅で注射してまで薬を投与するのは、
動物に対して失礼なのではないか?
ゴーの命を尊重していないのではないか?
自然に抗い、まるで命の時間をコントロール出来るとでも錯覚しているのではないか?
緩和治療のつもりが延命治療になっているのではないか?
などなど。

主人が「あなたはゴーちゃんと話せるのだから、ちゃんと話して向き合ってごらん。」と。
母が、「一度立ち止まる所まで進んで来たって事だね。」と。

同日夕方、ゴーちゃんとチャネリングで話してみました。

「ゴーちゃん、何か話したいことある?」
《ゴーちゃん》
あのさ
メソメソしないで
短気にならないで
自分達の気持ちを落ち着かせて
ゆっくりでいいんだよ
ゆっくり粘り強くあって
考えることも ゆっくりでいいんだよ

「ゴーちゃん、沢山吐くの辛い?」
発作が起きても、辛いけど耐えられる
見てて欲しいけど
助けてほしいからじゃない
頑張ってる姿を見ておきなさい

「ゴーちゃん自分の病気のこと知ってる?」
イエス様のところに帰るのは嬉しいこと
ゆっくりしておいでって頼まれてる

母「覚悟出来てるんだねぇ」
覚悟ではなくて、自然なこと

「1番伝えたいことは何?」
あのさぁ
リラックスして
自然なことなのに、緊張状態ばかり
リラックスして
(監視しているかの様な)緊迫感、不自然な状態がいや

「ゴーちゃんに注射していいの?ステロイド必要?」
ステロイドなどはどっちでもいい
注射もお姉ちゃん達がしたがってるからする

「レッツのことはどう思ってるの?」
レッツは救い
勇敢な戦士
勇士
同志

「レッツを言葉にすると?」
ありがとう


ゴーに人間の私達が救われました。
その日以来、深い睡眠を取り戻すことができています。
動物は生きて死んでいくまでの全ての時間、プロセスを
ごく当たり前の移り変わり、自然なことと深いレベルで理解しています。
恐れに縮こまることも未練も執着もなく、ゆったりとおおらかに受け入れている。

発作が起きてもじっと耐え もがきながらも、泣き喚くこともなく
自分の命を信じて復活する。

〜あのさぁ、お願いだからリラックスして
どうして自然なことなのに、身構えて緊張ばかりなの?
ゆっくりでいいんだよ。 考えも注射もゆっくりでいいんだよ。〜

トホホ 笑
救われました!勝手に背負っていた重荷が消え
その日以来自宅注射は成功しています。
ゴーが嫌がらずゆっくりゆっくりと、待ってくれるのです。
私の手の震えも消え、固くならず穏やかな気持ちで行えるようになりました。

今朝ゴーは血便でした。
消化器型のリンパ種なので、胃や腸に負担がかかってくるそうです。
それでもゴーは変わりなく落ち着いています。
イエス様に我々人間にもう少し学びをもたらして来てね、と頼まれているようです。

お話会(1月22日)の数日前、寝不足続きだったころ
女性の様な本当に美しく優しい尊い声が私の頭を撫でてくれました。

《よ〜くここまで歩いて来たね》
《よ〜くここまで歩いて来たね》

そうやって何度も何度も慈しんで愛してくれました。
目覚めた時救われた気になり、ああ、天使さんありがとう!と感謝しました。
ゴーのことで思い悩みながら眠ってしまった日
ハッと気づき!目覚めました。
28才、人生で1番辛かった頃、レッツゴーが私の元に来てくれました。
小さくて元気で、明るくて!
あれから15年、
《よ〜くここまで歩いて来たね》
そう言って慰め慈しんでくれたのは
ゴーだったんです。

ゴーちゃんが、
この15年を振り返り
頭を撫でてくれたんです。

ゴーちゃんだったの?

《そうだよ。》


ああ。
ゴーはいつの間にか
こんなに立派な長老猫になっていたんだね。





ありがとうございます!

沢山の方々にご心配をおかけしてしまい、本当にすみません!
お陰様で我が家のゴーちゃんは
昨日の発作を様々な愛と、自らの命で克服し

今日は、レッツと遊べるほど
ご飯をモリモリ食べられるほど
まだ食べれるのかい!と言わせるほど(*´∀`)
本当にお陰様で、今日のゴーは復活しております。

ご心配おかけして、すみません。
沢山の応援、優しいお気持ち 心から感謝しています。

みなさまも どうぞ! これからも健やかに!神様の愛に包まれて☆幸せでありますように!



昨日 赤い腹巻 装着。



レッツと一緒


本日 きゃぁ〜悪い子!
台所に上るほど 何か食べたい。

強いね。ゴーちゃん!
ゴーちゃんの漢字名は、剛 だからね。
立派だょ。




新しい自由の領域

自由に生きていいんだよ。
好きに生きていいんだよ。
あなたはいつも本当は自由なんだよ。

天使やイエス様は、よくそう言ってくれます。

私は自由に生きる そのイメージを
したい事を「する」
という意味合いで強く持っていた気がします。

でもここに来て新たに気づけた「自由」があります。
それは、
したくないことは「しない」という自由です。

少し乱暴な言葉に思えそうですが
私が選んだその自由は

お魚を「食べない。」

という自由です。

その反面、不自由も感じています。
小麦が食べられないという、不自由。

小麦は、身体が拒否します。
動物は、精神が拒否します。

今回新たに
お魚は、思想が拒否したのだと思います。

そうやって私は
「しない。」という自由もあるんだなぁと実感できた時
新たな自由の領域に触れたような気持ちになれてワクワクしました。

外食は少し難しいけれど
ちゃんと思いを込めて作れたお料理は
なかなかのパワーを発揮します。
身体の要望を少しづつ聞いて応えてあげられてくると
ああ、お豆が食べたいなぁ とか
ああ、大根 生で食べたいなぁ とか
ああ、小松菜を思いっきり食べたいなぁ

…など、その日の身体と野菜が繋がって
大地からより深く愛されているように思えます。

お味噌の20年もの!なんて、いつか機会があれば食してみたいものです。

何かと 「しない。」という自由は、案外勇気のいる自由かも知れません。

でも、 心に正直に
身体に正直に
魂に正直に 日々を生きていきたいと思います。





今日の重み

昨夜、夜中の3時頃、急に目が覚めて苦しい気持ちになりました。
六階の実家で寝ているゴーちゃんの事を思いました。
昨日は元気だったけど、何か起こったかな?
天使さん!どうかどうかお見守りください
祈って祈って 何か寝付けず、でも動けず唯々グスグズと過ごしました。

6時過ぎ母から電話。
「ゴーちゃんがいない。
どこ探してもいないの!」

私はああ、やっぱりかぁ!!と自分を嘆きました。
駆け付けて一緒に家中を探しました。
こんなところに!という場所で
小さく静かに静かにしていました。

猫は体調が悪いと人目を避け隠れてしまいます。
ゴーちゃんも発作が起きて、辛くて苦しくてもがきながら
落ち着ける場所を探したのだと思います。

お部屋が寒くて、ゴーちゃんの身体も冷たくて
脱水が進んでいる様で皮膚の硬さまで感じます。
毛布を掛けて、電気ストーブを点け
これ以上の発作が起きませんように、苦しみませんように、イエス様に祈り続けました。

一度、もうダメだと、思いました。
抱き抱えたら、嫌だ嫌だ!と力を出し、
お?!これは復活するかも!と逆に光を見ました。
二時間程して、目に生気が戻り始めました。
小刻みに震えていた身体も少しづつ温かさを感じます。

ゴーちゃんは強い。

「ゴーちゃん、病院行ける?
行きたい?
行く?」
聞いてみました。

「行ける、行きたい、行く。」
と。

先生に連絡し朝一番で診てもらえました。

少量の点滴と、お薬の入ったお注射。
少しの刺激とゴーちゃんらしい好奇心。
大丈夫だよ!という気持ち。
ゴーちゃんの生命力、親友からの祈り、神様の計らい。
色々な愛の力で、落ち着きを取り戻し
今日を生きています。

1日1日の重さを感じます。
1日1日の有り難さを痛感します。
1日1日 神様は今日も生かしてくださった。そう感じます。
それを、軽んじ
私は何十年も過ごして来たんだなぁ。
生かしてもらえてる今日、本当は何をすべきだったのかな?
何のために生かしてもらっているのかな?
生きる重みを、尊さを今更ながら感じています。
生きられる、それは当たり前の権利ではなく、
生きられた。本当はそれだけで、奇跡の塊。
そして、生かされているなら、
なぜ?生かしてもらえるのか?

生きている間に、応えられたら いい。

そんなことをゴーちゃんを見つめながら教わっています。

沢山の愛と感謝を込めて






自分を重んじる

毎日があっという間に過ぎて行きますね。
みなさまお元気にお過ごしでしょうか?

毎日どんなことに興味を持ち、何を意識して、新しい一日を受け取っていますか?
今年に入って波動が本当に変わり、
ついゆったりと、ついボンヤリと時間が流れて行ってしまう…と
いう方もいらっしゃるかも知れません。

いくつかのワークをすでに行いましたが
天界からのメッセージは共通しています。

「今年は 気負わないでください。
気負ったら負けます。
今年は 頑張ろう!としないでください。
頑張ろう!と力むと負けます。」

何に負けるのでしょう?
あなた自身の自我に負けてしまいます。

じっくりとハラを据え、しっかりと目標を定め、決まったら力を抜き
緩やかに前進しましょう。
急いだり慌てたり、取り敢えず…とは
いきませんね。

まずは落ち着いて心のモヤモヤを明らかにし
じっくりと自分と向き合い検証、分析する。

私自身、モヤモヤとした気持ちと正直に向き合うことで
前進する為の大切な方向を見定められつつあります。

私の魂は
何が本当は嫌だったのか?
何を軽んじていると感じたのか?
その結果、
何を大切にしようと見つけられたのか。

すべての答えは自分自身にありますね。

毎日、自分のあらゆる領域を見つめる大切さ。
毎日、感じていることを軽視せず、出来事、会話、思い、考え方を分析し内観する必要性。
何より「自分自身を重んじる大切さ」を
体感しています。
今年もスタートした
スピリチュアルレッスン、実践していますか?(全6回)」というエネルギーワーク
1月期の皆さんもとても素敵な方々です。
今後の皆さんの進化がとても楽しみです。
2月期金曜日コースは、お席がまだございます。

自分を深く知りたい、霊性を高めたい、愛に触れたい、日常の中の奇跡…など
興味のある方は是非いらしてください。
詳しくは → ホームページをご覧くださいね。
どうぞ素敵な毎日をお過ごしくださいね。
いつもありがとうございます。




2017愛の深さ

たぶん今年から

この 愛の深さ について

何度も何度も書いていくのだろうと思う。

 

愛の質 愛の力 愛の深さ…

どの表現がピッタリ来るのかは分からないけど、そういうこと。

 

トランプがアメリカの大統領になって

ヨーロッパでも似たような存在が注目されていて

源を

愛のするのか?恐れにするのか?を間にあたりにして問われている人々。

 

もし日本にそんな問いが来たら、私たちはどうするのだろう・・・?

 

知らない人種の人達が沢山押し寄せてきて

その事情は分かっているつもりなのだけれど

同じ日本人同士でも、

子供たちの間で被災して来た存在に「いじめ」の様な状況が行われてきたことが

ようやく顕わになっているこの日本で

 

もしも諸外国の肌の色も文化も習慣も違う人たちが

恐ろしい体験をして自分の故郷を「間違った宗教観」を盾に暴力で襲われ、奪われ

苦してくて悔しくて、恐ろしくて情けなくて、悲しくてやりきれなくて

どうしようもない憤りと無力さに襲われて非難してきた沢山のその存在達が

 

もし、

この

私たちの「ここ」へ移民してきたら

私たちは快く慰め、快く受け入れ、いつまでも

「大変だったね、でももう大丈夫だよ」

「ここがあなたの故郷になるように・・・!!」

そう労い、その人たちの家族を愛し寄り添うことが

本当にできるのだろうか

 

ダライ・ラマがこないだ(2016年横浜)の講演で

少し寂しそうに言っていた。

 

ある人が質問した。

アメリカ大統領にトランプが就任したことについて、どう思いますか?

 

「長い目で見ましょう。

20世紀の初めも本当に苦しく悲しいことが沢山起こりました。

その中で我々は学び、成長し、現在

ここまでやってきました。

このようにしか、我々人類は学べないのかもしれません。

この21世紀もそのように眺めてみたら、少なからず進歩するのでしょう・・・。」

 

この「言葉」だったか?は、定かではないのですが

私の解釈は、そのように受け取りました。

そうか・・・

と、

2000年から始まって、まだ17年目。

1900年の始めにも、人類として耐え難い情けに程の苦しみ、各国の利己的な思惑に身を委ね

私たちの祖先は戦争と向き合い生き続けてきました。

その経験を経てようやく

「平和」を遂行し、EUも生み出され

現在では当たり前になるつつあった「平和」を存続してくれました。

 

そしてこの2000年の初頭

情けなくも大きくはっきりと再び二分化されています。

愛か 恐れか

まさにその通りの組み分けに収まろうとしています。

その、「今」に私たちは生きていきます。

 

遠い外国で起こっている事とではなく

問われています。

毎日の日常においての「愛の深さ」が問われています。

 

少しの利己心も神様は見逃さないでしょう。

少しの利他心も、もちろん見逃さないでしょう。

いつも甘い心で見逃してしまうのは私たち自身です。

このくらいはいいよね

だって私の分が少なくなるかもしれないもの

このくらいは私たちの権利だよね

だってあの人たちは新入りだもの

このくらいは正当な理由として認められるよね

だって私たちの方が貢献してきたのだから・・・

理由はいくつでも生み出せる。

自分を正当化する理由は情けなくも無限に生み出せるのが私たちなのですよね

 

でも、

そのすべてを飲み込んで

その人の過去を

その人の影を

その人の涙を

感じ、報い、明け渡すことが出来るのか?

 

この何気ない毎日で問われていくのが2017年なのだと思います。

 

小さなことからでいいから

利己心を捨てる練習を

小さなことからでいいから

利他心を表せる勇気を

 

そんな風に今年を生きる私たちに訴えてきている気がします。

あなたが幸せに生きるために

手放せますか?

あなたが幸せに生きるために

全てを与えることができますか?

 

そんなことを何気ない日々の中で問われていくのが2017年なのだと思います。

アメリカで起こることも

ヨーロッパで起こることも

パキスタンで起こることも

知らない土地で起こることも…

すべて

私たちの中で起こっていること。

 

その自覚を持てたなら

どれ程の重大な責任が

自分に課せられているかに気づけたら

目の前の、ささやかなこの日常に、その人に

真摯に向き合える「勇気」を得られるのかもしれません。

 


そんなことを

2017年9日目にして明確に受け取り

そして伝える責任を感じている、私でございます。

 

 

 

あなたの心が平和でありますように。

そしてあなたの横に座っているその人も

幸せでありますように!!

 

 

 

 

 

 



calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< January 2017 >>
selected entries
categories
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
JUGEMのブログカスタマイズ講座