お世話になりました!

今年も大変お世話になりました

皆様どうぞ良い年をお迎えください

来年もよろしくお願い致します!

 

今年の私は元気です

熱も出ず、倒れもせず、神様を愛し続けています。

 

来年も元気にお会いしましょうね

神様の祝福が2020年も沢山もたらされますように!!

 

 

 

 



コンプレックス

世の中で、今年の一字は何ですか?などのやり取りがあるから
私の一字はなんだろう?と考えてみた。

自分では教室を行い、マンツーマン教室は特にマメに行って来ましたので
「教」という字かな?なーんて
イエス様はなんと仰るだろうと思い聞いてみました。

すると
いいえ、違います
「声」です と

“あなたは私の声になる”

そう、以前言われていたのを思い出し
納得の気持ちと、 嬉しい気持ちと。


確かに今年は喉のケアを意識したり
伝えるということから多くの精神的学びを得たり
無意識のものが意識化された日々に思えます。

何より長い年月コンプレックスだった
私の声が
ここに来てとても大切なものとなっている

潜在能力がほんの少し引き出された様な。


私たちには気付いていない
眠っている、 使い方のまだ知らない
素晴らしい才能が  沢山沢山宿っている

可能性はいつも私たちの中にある
あまりに近過ぎて 
こんなもの、と思い込んでいるのかも知れない

私たちは神の子です
煌めきが宿っています
見つけて
見つけて
見つけたい





罪のないものなど、いない

朝4時に目が覚めて
過去の自分を見せられる
どの自分も嫌な、間違った選択をしている
利用したり
自分のものにしたかったり
自分の都合でものを捉えて
怠けて
ずるくて
欲しがっている
惨めで
悲惨で
絶望している

そんな自分とそんな自分と関わってくれた人達
どの景色も危うい
何年遡っても
どの時代にも酷い自分がいる

ああ、私はいくつからこうなってしまったのだろう
ああ、私はいくつからやり直すべきなのだろう

戻っても戻っても
酷い 嫌な 悲惨な 欲深い 利己的で
愚かで
罪深い自分が蘇る

私は流され、怠惰で、狡猾で、しがみつき、欲しがり
自分をなんとか幸せにしたくて必死だ

この世で最も罪深い存在は 私なのだなぁ 
罪深く愚かなのは 私なのだと
無意識の世界から
朝の光を受け取るまでの2時間

神がどれだけ許し愛し
回心した私を迎え入れ育んでくださったのかを
息苦しく堪え難い時間の中
見つける

聖書の
放蕩息子こそ
私なのです

人は変われる
人には時がある
その人が変わる為の必要な時が
その時を経て
その時が来て
その時に
人は変わる
神の御心によって
神の愛にようやく気づける





恋文

あなたを愛しているから ここにいるのです

あなたを信じているから ここにいるのです

 

あなたへの愛が私の生きる理由です

あなたを愛しているのであなたに従いたいのです

 

あなたは私のすべてです

私の源

私の喜び

私の希望

私の真実

私の楽しさ

私の光

あなたを愛せることが私の中で唯一最良のもの

あなたへの愛が私を生かします

あなたへの愛が私の生きている意義なのです

 

あなたがもし悲しみを与えてくださったのなら

私は悲しみを受け取ります

あなたがもし苦しみを与えてくださったのなら

私は苦しみを頂戴します

あなたがもし切なさを与えてくださったのなら

私は切なさを余すことなくいただきます

 

あなたが贈ってくださるすべてを一滴もこぼすことなく

それが何であろうと

何であろうと

 

私はあなたの愛だけに生きています

私はあなたへの愛に生かされています

それが私の生きていたい光なのです

 

親愛なる主イエス様へ

 

 

 

 



嘆き

神をあなたが愛していないのに
神にもっと愛されたがる人がいる

神への愛を語るだけなのに
神からの愛を更に欲しがる人がいる

神からの信頼に欠けるあなたなのに
神からの導きを信頼できないと悩む人がいる

神への愛を失っているのに
神を思案し何を得ようとしているの?

神への愛を失っている人が多すぎる




いらだち

時々 過激な言葉だけれども
教えの中でイエス様は言われる事がある

救えないのではなく
救わないのだ

この言葉だけを聞くと 
神が選んでいるのか?とか、その段階ではないのか?など 人間は勝手に考え出して神の愛を感じずに終える事がある

よーく
感じてみてください

宇宙法則の第一は?
自由意思の尊重 です。

救えないのではく
救わないのだ

神に救いを求めていないのに
なぜ
神は救ってはくれない!と非難するの?

神がくださっている導きに、抵抗し
従わないのに
なぜ
神さまは助けてくれない!と非難するの

神の愛に気付けず
自分の思う形にならないからと言って
なぜ
神を非難できるのでしょう

人間が、身勝手なのです。

都合よく神を語り、利用し、自分好みの神に仕立て上げます。
神を侮辱し、偉そうに、神はこういうものだと押し付けてきます。

図々しい
あなたは神に唾を吐いている

そう言われたことはありませんか?

あなたは神を知らない
神の何をあなたは知っているの?

神の愛を受け取りながら
神を愛していない、その様な人に触れると苦痛で仕方がないのです。




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